「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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会津史跡めぐりのみち

数々の武将が治めた会津の歴史を堪能できるコース。幕末の悲劇の舞台の一つ「飯盛山」や、藩主松平家の庭園である「御薬園」など、様々な歴史溢れるスポットを周遊するルートです。歴史の中心地である鶴ヶ城を発着地にし、会津の歴史を感じてみてはいかがですか。
番号:107004
◆コースの概要/距離:11km、所要時間:200分、高低差:-m
◆コースの起点/地名:鶴ヶ城、最寄駅:JR磐越西線 会津若松駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:3km
◆コースの終点/地名:鶴ヶ城、最寄駅:JR磐越西線 会津若松駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:3km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/春・秋
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/会津若松市 観光課、電話番号:0242-39-1251





起点 鶴ヶ城
鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。天守閣の内部は郷土博物館となっており会津の歴史に触れることができます。平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。
-km (20分)
1 甲賀町口門跡
蒲生氏郷は若松の町割りを行い、城下町を武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られました。甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門の一部です。
-km (40分)
2 旧滝沢本陣
参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していきました。茅葺きの屋根におおわれた書院づくりの建物は、国の重要文化財に指定され、御入御門、御座の間、御次の間などが当時の姿のまま残されており、さらに歴代藩主の愛用した身回り品、参勤交代の道具類、古文書なども保管されています。建物のあちらこちらには弾痕や刀傷があり、当時の戦いの痕跡をとどめています。
-km (10分)
3 さざえ堂
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。
-km (5分)
4 白虎隊十九士の墓
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。
-km (35分)
5 天寧寺
戊辰戦争の戦争責任を背負い切腹した萱野権兵衛(かやのごんべえ)や、会津武士の屈辱をはらそうと16歳の若さで切腹した郡長正(こおりながまさ)、新選組局長を務め刑死した近藤勇らが、ここ天寧寺(てんねいじ)に眠る。土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したといいます。
-km (25分)
6 会津藩主松平家墓所
静かな森の中に佇む、松平家歴代藩主が眠る墓所。国の史跡にも指定されている名所で、東西500mを超え、約15万㎢という広い山原に墓地が並びます。新緑や紅葉の時期に散策をかねてのお参りをする人も多いスポット。初代保科正久公は猪苗代の土津神社に祀られ、ここには二代保科正経公から幕末の九代容保公までの墓があります。
-km (10分)
7 会津武家屋敷
江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ね、見ごたえ充分、歴史浪漫に浸れる資料館です。
-km (30分)
8 会津松平氏庭園 御薬園
町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだしたこの地に別荘を建てたのがはじまり。大名型山水庭園として国の名勝にも指定されました。中央に心字の池を配した回遊式の借景園と、各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来です。四季折々に花が咲き誇り、歴代の藩主が愛した庭園の風情を深めてくれます。
-km (15分)
終点 鶴ヶ城