「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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470年にわたる佐竹の歴史と黄門様隠居所西山荘をめぐる道

佐竹氏は、八幡太郎源義家の弟、新羅三郎義光の孫を家祖にもつ源氏の名家です。常陸国太田城に拠り関東・奥州に大勢力をもった大名でした。後に常陸水戸城に本拠を移し、関ヶ原の後、秋田久保田城に転封となりましたが、その家を幕末まで長年に渡り存続しました。
また、御存知、「黄門さま」光圀公がこの地、西山荘の寝室で亡くなられるまでの10年間、編纂の傍ら多くの領民と親交を重ねられた地を訪れます。
番号:108015
◆コースの概要/距離:14km、所要時間:220分、高低差:30m 
◆コースの起点/地名:常陸太田駅、最寄駅:JR水郡線 常陸太田駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km 
◆コースの終点/地名:常陸太田駅、最寄駅:JR水郡線 常陸太田駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km 
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 
◆推奨季節/春・夏・秋・冬 
◆その他/- 
◆コースに関する問い合わせ先/水戸歩く会、電話番号:-





起点 常陸太田駅
-km (-分)
1 山吹運動公園
市民のスポーツ活動拠点である、山吹運動公園。体育館、野球場、少年野球場、運動広場、テニスコート、弓道場、武道館、相撲場、ジョギングコースなど総合運動公園として親しまれ幅広く利用されています。
1.5km (25分)
2 水戸八景 山寺晩鐘
水戸藩第9代藩主徳川斉昭公を祀った寺。県立西山研修所構内東南の高台の端に、「山寺晩鐘」の碑があります。寒水石に四文字が深々と刻み込まれた碑面は、東南の方向を向いています。この地は久昌寺の付随施設として設けられた学寮の三昧堂檀林跡地です。
-km (-分)
3 西山研修所
昭和13年10月設置の社会教育施設「県立西山修養道場」は、徳川光圀の建立した三昧堂壇林の跡地に開所しました。昭和29年4月、茨城県立西山研修所と改称され、その後、常陸太田市に移管のうえ、「常陸太田市西山研修所」となりました。研修所総面積 約1万2千平方メートル、建物は本館、新館、別館、つどいの広場、テントサイトの5つに大きく分かれています。
2.5km (45分)
4 佐竹寺
常陸国を統一した佐竹氏代々の祈願所。寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建。坂東三十三観音二十二番霊所。
1km (15分)
5 田九昌寺跡

1km (15分)
6 西山荘
水戸藩2代藩主徳川光圀公は家督を3代綱條公に譲り、同4年(1691)5月に栄華を極める江戸城を後に、光圀公自らが始められた「大日本史編纂事業」に生涯を捧げるべく、完成間もない西山荘に移り棲まれました。
0.3km (10分)
7 桃源
徳川光圀公の隠居処であった西山荘の入口にある休憩施設。園内にある晏如庵は、光圀公が茶の湯を楽しんでいたという逸話にちなんで建てられた施設。
0.7km (10分)
8 西山公園
園内自由市街地西側の丘陵地、西山荘のほど近くにある「西山公園」は、およそ4.8ヘクタールの広大な敷地を誇る公園。市内屈指の桜の名所として市内外に広く知られており、園内には1,500本ものサクラが植えられています。
-km (-分)
9 九昌寺
徳川光圀公が生母の谷久子を弔うために建立した寺院です。久子の法号である「久昌院靖定大姉」からその名が付けられました。
-km (-分)
10 源氏川
市中を流れる自然のままの川。土堤はヘルスロードに指定されている。
2km (30分)
11 正宗寺
平将門の父良将が創建。佐竹氏の菩提所として、関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄しました。佐竹氏代々の墓と伝えられる宝篋印塔や、「助さん」のモデルとされる佐々宗淳の墓があります。 
1.1km (15分)
12 馬場八幡宮
源頼義が陸奥の安倍頼時鎮撫に向かう途中、源氏の氏神で、伊勢神宮と並び国家の宗廟と称されていた、石清水八幡宮の神霊を当地に分祀したことが馬場八幡宮の起源。以降、佐竹氏の守護神としても崇められ、初代の昌義は社殿を造営し、大田郷の総社としました。
-km (-分)
13 水戸八景 太田落雁
眼下にはかつて「真弓千石」と呼ばれる水田地帯が真弓(まゆみ)山麓の方に広がっていましたが、現在では開発が進み、新しい市街地が形成されています。彼方には寒水石(かんすいせき-大理石)の産地である真弓山等阿武隈の山々が連なり、眺望も優れています。
青田の初夏、実り田の秋、刈田の落雁等の風趣がありますが、雁の群れはあまり見られなくなってしまいました。
0.9km (10分)
14 舞鶴城跡
舞鶴城は太田城の通称で、佐竹氏約470年間の居城。佐竹氏三代隆義が入城する日に、鶴が城の上空を舞いながら飛んでいたことから「舞鶴城」と呼ばれるようになりました。
-km (-分)
15 若宮八幡
馬場八幡宮(馬場町)と対をなす、佐竹源氏の氏神で太田16町鎮守。佐竹氏13代義仁が、応永元(1394)年に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を、舞鶴(太田)城中に奉るようになったのがその始まりと言われています。鳥居をくぐったすぐ先にある樹齢500年の大ケヤキは、茨城県指定文化財。展望の良さを誇る。
-km (-分)
16 梅津会館
梅津福次郎翁の寄付で、太田町役場として建てられた梅津会館は、当時の新聞には県下一の豪華庁舎と評されていました。郷土資料館として使用れています。
-km (-分)
17 板谷坂
鯨ヶ丘にはいくつもの坂があります。馬の背を形づくる旧町の急坂。ここからの眺めはすばらしく、眉美千石とも言われていました。坂の途中にある板谷稲荷神社は佐竹氏と縁が深かったと言われています。名前の由来は佐竹氏がこの地を治めていた時代には、この地に「番屋」があったことからと言われています。
2km (35分)
18 常陸太田市役所
多くの遺跡や古墳群に見られるように、縄文・弥生の時代からこの地域の中心地として栄え、平安時代の末よりは、奥七郡など県北地方一帯を支配した常陸の豪族、佐竹氏の本拠地として約470年繁栄しました。江戸時代に入ると、徳川光圀公が晩年を過ごした西山荘や水戸徳川家歴代藩主の墓所である瑞龍山、11代藩主昭武公の山荘天竜院などに代表されるように水戸藩領地として発展し、明治時代には郡役所の設置や棚倉街道の商業中心都市として繁栄をしてきました。
1km (20分)
終点 常陸太田駅