「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



地域を選択する

東松山市ふるさと自然の道 大谷伝説の里(比企氏伝説コース)

鎌倉武士「比企一族」の伝説の時代背景を写す「比企氏悲あいの物語伝承」の土地を歩く大谷の地を訪ねるコースです。
番号:111011

◆コースの概要/距離:18km、所要時間:240分、高低差:28m ◆コースの起点/地名:東松山ウォーキングセンター、最寄駅:東武東上線 東松山駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:1km ◆コースの終点/地名:東松山ウォーキングセンター、最寄駅:東武東上線 東松山駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:1km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・秋・冬 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/東松山市 地域生活部文化スポーツ課ウォーキング推進室、電話番号:0493-21-1439





起点 大岡市民活動センター

1.2km (15分)
1 雷電山古墳 大雷神社
三千塚古墳群の1基である雷電山古墳は5世紀初頭に築造された全長約86m、高さ約6mの帆立貝式古墳です。総鎮守大雷神社の社殿を中心に、辻(相撲場)が二ヶ所あり、一の辻・二の辻と呼ばれ、一の辻は大相撲に、二の辻は草相撲に使用されていました。辻には三百席ぐらいの桟敷席が、傾斜地を巧みに利用して造られていました。現在は二の辻だけが残っています。大雷神社の相撲は、江戸時代中頃から行われて「関東三大辻相撲」の一つといわれるほどにぎわいました。この日、祝酒とともに「ぼたもち」を相撲見物の人たちにふるまったことから「大谷のぼたもち相撲」とも呼ばれ、大変親しまれました。

1.4km (20分)
2 串引沼
比丘尼山の草庵に住み、夫頼家の菩提を弔っていた若狭の局。元久二年(1205年・頼家死没の翌年)7月のある日、比企禅尼と若狭局が奇(くし)比企(ひき)沼(ぬま)(串引沼の古名)を訪れた。想いを断ち切るよう禅尼に勧められた若狭局は、肌身離さず持っていた頼家の形見・鎌倉彫の櫛を沼に沈めました。かすかな水音と共に沈んでゆく櫛を見つめる二人・・頼家命日の事だと伝わっています。これは伝承であり、実際には若狭局は一族と共に焼き殺されています。

0.3km (10分)
3 比丘尼山古墳
比丘尼山は、伊豆に流されていた源頼朝を援助した比企郡司遠宗の妻が、夫の没後、比企禅尼となりここに草庵を営んだ、ということから呼ばれています。周辺には二代将軍頼家の妻若狭局が頼家亡きあと移り住んだと伝える場所などもあります。
 また、この丘陵の斜面には、七世紀に出現した横穴墓郡が存在します。比企地方では吉見百穴、黒岩横穴群などがあり市内では、この比企比丘尼山横穴墓郡のみです。これらの横穴墓郡は吉見百穴を中心に西に広がっており、同地方に移住した渡来系氏族の壬生吉志氏とのかかわりあいのある墓制とも考えられています。

0.9km (10分)
4 宗悟寺
宗悟寺は、江戸時代を通じて当地を治めた旗本森川氏の菩提寺で、初代森川金右衛門氏俊がおこした、比企氏ゆかりの寺です。 
宗悟寺の寺伝では、鎌倉二代将軍源頼家が伊豆の修善寺で暗殺された後、若狭局が、宗悟寺の西にある比企尼山に逃れて尼となり、草庵を結んで頼家を弔う為に寿昌寺を創立したとされています。この寺を天正20(1592)年に、森川氏が現在の地にうつしておこし宗悟寺と改号されたもので、頼家の位牌が残されています。梅ヶ谷には、若狭局が隠れ住んだと伝えられる遺跡があり、比企氏の伝説地もあります。近世期の宝篋印塔の形態をよく残しており、近代にいたるその推移を伝えています。

1.4km (20分)
5 大雷神社参道・雷電橋

1.4km (20分)
終点 大岡市民活動センター