「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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中山道(笠取峠~和田峠)

中山道は姫宮の嫁入り行列が通ることが多かったこともあり、「姫街道」とも呼ばれています。
長和町には「長久保宿」と「和田宿」の宿場があり、和田宿と下諏訪宿の間には中山道最大の難所といわれた和田峠があるため、この峠を越えてきた人々やこれから越えようとする人々で賑わっていたそうです。また、長久保宿からは北国街道へ合流するため、最大時で43軒の旅籠が並ぶなど栄えました。今なお残る史跡や未舗装の道を歩き当時の道のりを体験することができます。
番号:120031
◆コースの概要/距離:21.8km、所要時間:420分、高低差:-m ◆コースの起点/地名:笠取峠、最寄駅:-、最寄のバス停:佐久平よりバス 、最寄からの距離:800km ◆コースの終点/地名:和田峠、最寄駅:-、最寄のバス停:男女倉口、最寄からの距離:-km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:無、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・夏・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/長和町産業振興課商工観光係、電話番号:0268-88-2345





起点 笠取峠
旅人が頭の笠を取って浅間山の絶景を眺めたという笠取峠。江戸時代には峠の頂上に小松屋という茶屋があり、旅人の疲れを癒していました。
1.9km (40分)
1 松尾神社
京都「松尾神社」祭神を分霊して奉祀してあり、酒造の守護神として近隣の酒造家の信仰を得ています。
0.4km (10分)
2 一福処 濱屋
明治時代初期に旅籠として建築されたものの、中山道の利用者が激減したことにより旅籠として利用されることはありませんでした。「出梁造り」が特徴的な旅籠建築で、現在は歴史資料館として公開されています。
0.1km (2分)
3 長久保宿本陣
江戸時代を通じて、本陣と問屋を勤めていました。当時の建造物としては表門と御殿が現存し、御殿は中山道では現存する最古の本陣遺構といわれています。
0.2km (3分)
4 釜鳴屋
「本うだつ」が一際目を引く釜鳴屋は酒造業を営んでいました。現在でも風情ある町屋の様式を残しています。
3km (30分)
5 歴史の道の碑
中山道沿いにあった石仏が安置され、水明の里ポケットパークが整備されています。
0.8km (15分)
6 蚯蚓の石碑
土の中に生きるものの代表である「みみず」を祀っています。
1.4km (20分)
7 若宮八幡宮
武田晴信(信玄)の信濃侵攻の前に敗れ、自害して果てた和田城主の大井信定父子の首級を埋葬したと伝えられています。元禄六年(1693)、信定寺の和尚が追悼の碑を建てたそうです。
2.4km (40分)
8 歴史の道資料館かわちや
和田宿の旅籠のうちでは規模が大きく、出桁造りで格子戸のついた代表的な遺構です。文久元年(1831)の大火災後に再建されたものですが、幕末の建築様式を今に伝えています。現在は資料館として復元されています。
0.2km (5分)
9 和田宿本陣
文久元年(1831)3月の大火災で焼失しましたが、同年11月の和宮降嫁を受けて再建されました。出桁造りの間口12間・奥行9間に及ぶ宿場最大の建造物です。

4.8km (90分)
10 唐沢の一里塚
江戸時代の早い時期に中山道の道筋が変更されたため、道筋ら外れた山中に、そのまま残されていました。今では五街道の中でも珍しい、対で現存する一里塚です。
1.4km (20分)
11 三十三体観音菩薩像
かつて熊野権現社前に並んでいた観音菩薩像。旧道の退廃とともに毀損し、放置されていました。昭和48年の発掘調査により29体が確認され、ここに安置されています。
1.8km (40分)
12 永代人馬施行所
江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が幕府に寄与した金千両より、利子の50両が下付され設置されました。11月~3月まで和田峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施行していました。
2.2km (50分)
13 東餅屋茶屋跡
和田峠には、唐沢・東餅屋・西餅屋・樋橋・落合に茶屋があり、旅人の休息所になっていました。東餅屋には5軒の茶屋があり、寛永年間より一軒に一人扶持(1日玄米五合)が与えられ、旅人の救助にもあたっていたそうです。
1.2km (50分)
終点 和田峠(古峠)
和田峠は急坂が多く降雪の際はもとより雨や霧の日も旅人は難渋しました。峠の頂上には御嶽山遥拝所碑や馬頭観音、賽の河原地蔵が建立されています。