「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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赤馬の径

「忠臣蔵」では赤穂浪士に討たれる悪役として描かれる吉良上野介義央公ですが、地元吉良町では、領民思いの名君として今でも慕われており、義央公が寄進した文化財も多数残っています。吉良上野介義央公は、農耕用の駄馬(赤馬)にまたがって領地を巡見し、親しく領民と交わったといいます。吉良公の遺徳を偲びながら吉良家ゆかりの史跡をめぐります。道沿いには赤馬に乗った吉良公がお出迎えしています。
番号:123009
◆コースの概要/距離:10km、所要時間:150分、高低差:30m
◆コースの起点/地名:上横須賀駅、最寄駅:名鉄西尾線 上横須賀駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km
◆コースの終点/地名:上横須賀駅、最寄駅:名鉄西尾線 上横須賀駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/春・夏・秋・冬
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/西尾市 産業部商工観光課、電話番号:0563-65-2169


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起点 名鉄上横須賀駅
名古屋鉄道西尾線の駅。駅周辺では、無料でレンタサイクルの貸出も行っている。※トイレ有
1.8km (30分)
1 華蔵寺
吉良上野介義央公の曾祖父である吉良義定が江戸時代初期に旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために菩提所と定めた臨済宗寺院。吉良家墓所には義安以下、代々の墓が立ち並び、御影堂には、吉良義央公の木造(県指定文化財)が義安像、義定像と並んで祀られている。※トイレ有
0.1km (1分)
2 花岳寺
臨済宗妙心寺派の寺院で、中世に吉良荘東条を領した東条吉良氏の菩提寺として創建された。江戸時代には、高家となった旗本吉良家の崇敬を受け、本堂は江戸時代の禅宗の方丈形式を伝える建築として国の登録有形文化財となっている。※トイレ有
0.6km (10分)
3 尭雲寺
徳川家康の叔母俊継尼によって建立された。はじめ妙園寺と称したが、尼の没後、その菩提を弔うため、その法号にちなんで堯雲寺と改称された。後に徳川家康から領地を与えられ、吉良家再興の端緒をひらくきっかけとなった。
0.5km (10分)
4 岡山陣屋跡
江戸時代再興した吉良家が旧吉良町の内北部4か村を治めた陣屋跡。
0.8km (15分)
5 黄金堤
吉良上野介義央公が、水害から領地を守るため、領民とともに長さ約180m、高さ約4mの堤防を一夜で築いたと言われている。現在は、桜の名所として知られ、3月下旬から4月上旬にかけてはライトアップも行われる。※トイレ・休憩所有
1km (15分)
6 西林寺 白瀬南極探検隊長の墓
西林寺の境内には、日本人として最初の南極探検に挑み、前人未到の地に至った白瀬南極探検隊長の墓がある。また、門前の大椎の老樹は、樹齢700年と推定され、市の天然記念物に指定される。※休憩所有
1.2km (18分)
7 東条城跡
鎌倉時代前期の承久3年(1221)に起こった承久の乱の後、足利義氏が三河国の守護になり、吉良荘の地頭職を兼務した。東条城は東条吉良氏の本拠地で、曲輪や一部土塁が残り、中世の城の様子をよくとどめている。平成4年に城門・物見櫓などが復元され、往時を偲ぶことができる。※トイレ・休憩所有
0.6km (10分)
8 藤浪畷古戦場
三河統一を目指す松平元康(徳川家康)は永禄4年(1561)東条城攻略にあたった。戦闘は藤浪畷で始まり、吉良氏重臣室城主富永伴五郎忠元は激戦の末、討死し、元康の三河平定は進んだ。
0.4km (6分)
9 富永伴五郎地蔵
富永伴五郎忠元は室城主で、富永家は東条吉良氏譜代の重臣であった。藤浪畷での戦いにおいて、一族郎党とともに奮戦し討死する。勇将を失って城は陥ち、名門東条吉良氏300有余年の支配は終わった。
0.5km (8分)
10 大通院
慈覚大師の創建と伝わり、当時は七堂伽藍を完備した天台寺院で、崇厳を極めた。東条吉良氏の宿老富永家代々の帰依が厚く、境内には富永伴五郎をはじめ一族の墓が残る。
0.9km (13分)
11 小牧陣屋跡
永禄4年(1561)、東条城攻略の際、徳川方の本陣となった。東条城落城後、本多豊後守広孝の所領、慶長年間には大河内松平家の所領となり、この地を統治する小牧陣屋が置かれた。11代正質の時、明治維新を迎え、小牧陣屋も閉鎖された。
1km (15分)
終点 名鉄上横須賀駅