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和歌山街道 珍布峠ウォーキングコース
松阪と和歌山を結ぶ街道で、主に三重県側。江戸時代には本陣がおかれ、、紀州藩主の参勤交代の道、また伊勢神宮への参詣道として多くの人々が行き交いました。『珍布(めずらし)峠』は、天照大神と児屋根命が出会ったとされる場所で、ここで伊勢と大和の国境を決めたとされます。現在、峠は大岩をくり抜いた切り通しとなっており、その素掘りの大岩の間を抜けていきます。そこから櫛田川に向かって下りていくと目の前の川に『陳 (つぶて)石』が見えます。磯石もまた『国分け伝説』の史跡となっています。
番号:124024
◆コースの概要/距離:7.5km、所要時間:120分、高低差:-m ◆コースの起点/地名:道の駅 飯高駅、最寄駅:-、最寄のバス停:ホテルスメール 道の駅飯高、最寄からの距離:0km ◆コースの終点/地名:道の駅 飯高駅、最寄駅:-、最寄のバス停:ホテルスメール 道の駅飯高、最寄からの距離:0km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・夏・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/宮前地区まちづくり協議会、電話番号:0598-46-1315
起点 道の駅飯高駅
道の駅発祥三重県で最初に登録された道の駅で、道の駅制度ができる以前の平成2年に『飯高駅』として存在していた。

0.5km (10分)
1 霊符山の道標
この道標は左という字のおおきさ、力強さから、霊符山太陽寺への信仰の篤い方が、同山参詣の道案内として建てられたものであることが判る、此処から和歌山街道を左へ折れて神殿から川俣川(櫛田川)を渡り、野々ロから尾放し峠を越す山道は、信仰の道として古来、沢山の人々に利用されました。

0.3km (5分)
2 木戸の―軒家
旧滝野村の酉の出入りロにあたり、実際に開き戸(木戸)があった訳ではないが、一軒の茶店があって、草履や駄菓子などを売っていた。此処から谷出までは人家はない。

0.3km (5分)
3 死人谷
この少し上で、谷水を飲む様子で、その侭死んでいた行倒れがあったが人通りが少なく、長い間気がつかなかった。後に村人は無縁仏として葬ったが、この谷は誰云うとなく「死人谷」と嫌った。

0.1km (-分)
4 道行谷
この谷川を道行谷、この橋を道行橋という。吉野を逃れた源義経と静御前が通ったという古老の話は少なくなった。

0.1km (5分)
5 石灰爺さん
生国の名前も定かでない―人暮らしの爺さんが住んでいた。何処で習い覚えてきたか山から掘り出した石灰岩から石灰を作っていた。時折り里へ出て、石灰を販売し、米、味噌、お酒等を買い求めていた。

0.2km (10分)
6 珍布峠と礫石
天照大神が宮前(滝野)と赤桶の境の峠にさしかかり国境を尋ねると水屋の森から天児屋根命があらわれ、「この下の堺ガ瀬が伊勢と大和の国境とこたえた」大神は「この境は疑わしい」といい、大石を川の中に投げ入れ波のとどまる所で決めることにした。そして側にあった大石を礫のように投げ入れると川の水が巨大な水柱となり、にわかに滝のように落下した。そこでこのあたりを滝野の里と名付けた。勢いよく逆流していったその様から地名を加波の里、波瀬の里、船戸の里、と呼ぷようになった。激しい勢いで逆流していった波は高見山に達し、この日より高見山を伊勢と大和の国境と決めた。それからこの石を礫石と呼ぷ。

1.6km (35分)
7 水屋神社
水屋神社の祭神は、天照大神、素蓋之尊など16神が合祀されている。中でも竜神姫命は水の神様として有名で、水屋神社は三重県の神社の中でも一番有名な水神として崇められている。市杵島姫命は、絶世の美人の誉れ高く、弁財天として崇められており、財宝の神、美の神、芸能の神、農業の神、水の神として信奉されている。モニュメントの大きい赤い桶は、昔奈良の春日大社へ閼伽桶の井の水を汲んで赤い桶に入れて奉納した謂れによるもので、これを、象徴して平成16年(2004)10月、氏子が奉納したものである。

0.6km (15分)
8 姿見の池
この池は、縦6m、横4m、深さ1.5mほどの小さな楕円形の岩の窪みであり、始終水が溜まっている。この池に倭姫命が自分の姿を映して化粧をしたという言い伝えがあり、姿見の池と言われる由縁である。

0.6km (15分)
9 常夜灯
和歌山街道の礫石付近に設置されていたが、現在は赤池地区の地蔵様の付近に移設されています。

2km (50分)
10 北畠具教卿の首塚
三瀬の変で、家臣長野左京亮、加留左京進、らに暗殺されたが、北畠方の大宮多気丸、芝山小次郎秀時、松井新九郎、新次郎兄弟、大久保清左衛門らが敵から首を奪い返し、北畠氏の本拠地である多気(たげ)御所へ駈け出した。御所より出た家老芝山出羽守秀定は野々ロで大宮多気丸と息子秀時に出合い、出家して奈良の東門院の僧になっている具教の弟、具親に知らせ再興を勧めるよう命じた。 秀定自身は具教卿の首を野々ロの山の上に葬り追手を討ち払い、下にある渓谷に馬ごと入水し死んだ。地元の人は今でもこの滝を「出羽の滝」と呼んでいる。

1.2km (30分)