「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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葛城古道・神々のふるさとをたずねて

数々の神話の舞台となった神々の里をたずねる神秘的な道です。葛城王朝以来の史跡や農耕文化の営みの跡が、金剛葛城両山麓一帯の扇状地に広がっています。全長12 kmの山裾にそった道を歩き、豊かな自然に触れるとともにダイナミックな眺望を楽しむことができます。我が国最古の道のひとつ、天孫降臨の舞台、葛城氏発祥の地「高天の台地」には葛城氏の最高神、高皇産霊尊が祀られ、雄略天皇が葛城山で狩りをしたときに現れた神「一言主大神」を祀る葛城坐一言主神社等、古事記・日本書紀にゆかりの深い古社寺が数多くあります。
番号:129003
◆コースの概要/距離:12km、所要時間:220分、高低差:330m ◆コースの起点/地名:「風の森」バス停、最寄駅:-、最寄のバス停:奈良交通バス 風の森、最寄からの距離:0km ◆コースの終点/地名:「猿目橋」バス停、最寄駅:-、最寄のバス停:奈良交通バス 猿目橋、最寄からの距離:0km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・夏・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/奈良県観光局 ならの魅力創造課、電話番号:0742-27-8974





起点 風の森バス停
1.1km (19分)
1 高鴨神社
本殿は三間社流造りで、国の重要文化財に指定されています。祭神は阿治須岐託彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。またこの地にいた鴨族と言われた人々は、政争いにかかわりたがらず、農耕の民として高鴨神社の祭神を最高神として崇め、開拓精神旺盛だった鴨一族は新天地を求めて全国に分散し、賀茂と称する郡名が全国に28例もあって、山城国葛野に移り住んだ一族の分派は京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨社)は平安時代に皇室から崇敬されて有名になっています。
2.5km (46分)
2 高天彦神社
極楽寺の南にある北窪の集落から金剛山の山頂に向かう急な坂道を辿っていくと、広々とした台地に出ます。ここが日本神話の舞台になった高天ケ原の実在の地と伝えられている場所です。高天ケ原は、神代に皇祖神天照大御神が統治していたところで、ここから瓊々杵尊 (ににぎのみこと)が日向の高千穂の峰に降臨したと古事記は伝えています。葛城王朝を築いた葛城一族の祖神を祭するこの神社は、今も伝説の地にふさわしい神さびた風情を周囲に漂わせています。
4.2km (79分)
3 中村邸
名柄村はもと藤原不比等の所領でしたが、興福寺に寄進され、後に幕府領となり宿場町として栄えました。旧街道沿いに古い民家が軒を連ねており、江戸時代の雰囲気を色濃く残しています。中村邸は御所市内で最も古い建物で、吐田城主だった吐田越前守の子孫にあたる中村正勝が慶長期(1596~1615)に建てたと推定されています。江戸初期の家の造りを今に伝えるこの建築物は、全国的にみても歴史的価値の高いもので、国の重要文化財にも指定されています。
1.2km (22分)
4 一言主神社
願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。祭神は、古事記や日本書紀の中に見える事代主命です。雄略天皇が葛城山で狩をしている時、この神は天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申されました。天皇はひれ伏し、その後、共に狩を楽しんだとされています。しかし、続日本書紀では雄略天皇と狩の事でいさかいを起こし、四国の土佐に流され、その後許され葛城の高宮付近に祀られたと記されています。また、今昔物語では、葛城の怪人と言われた役行者が、修行のため葛城山と吉野の金峯山の間に岩橋を架けるため、諸神を集めて、架橋工事をした際に、一言主神は顔が醜かったため、昼は働かず夜しか働かなかったので、石橋は完成しませんでした。
1.3km (23分)
5 九品寺
九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基です。行基は聖武天皇のとき奈良東大寺の大仏造営にかかわった僧で、その生涯は民衆救済のため布教活動を続けました。御本尊は平安時代後期に造られた、木造阿弥陀如来坐像です。国の重要文化財に指定されており、檀信徒の心の拠り所となっています。また、この寺は境内や本堂の裏山に千体石仏とよばれる石仏群があることで有名で、南北朝時代にこの地を支配していた豪族、楢原氏が南朝方について北朝側と戦ったとき、地元の人たちが味方の身代わりとして奉納したものや、『集落内にあった石仏をある時期、寺に集めた』と伝えられています。
1.5km (26分)
6 六地蔵石仏
室町時代に豪雨によって、安位川が氾濫して、大災害が発生しました。そんな天変地異に村人は信仰心から仏教に救いを求め、災害によって流れ着いた大きな石に六地蔵を彫り込んだものと伝えられています。この石の大きさは未だに分かっておりません。六地蔵とは仏教で言う六道で、人間が死ぬときいずれかに行くものと考えられていました。向かって右から天上道(日光菩薩)人間道(除蓋障菩薩)修羅道(持地菩薩)畜生道(宝印菩薩)餓鬼道(宝珠菩薩)地獄道(壇蛇菩薩)となっています。
0.2km (3分)
終点 猿目橋バス停