「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



地域を選択する

世界遺産 熊野古道中辺路

熊野三山へのいにしえの参詣道を熊野古道と呼びます。熊野古道中辺路は、田辺から山岳道をたどって熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・那智山青岸渡寺をめざすルートで、平安時代から鎌倉時代にかけ、上皇たちが参詣を100回以上も繰り返した熊野への公式参詣道としても知られています。中でも「大雲取越」「小雲取越」は、熊野古道中辺路の最大の難所といわれています。今回は、滝尻から熊野本宮大社を経て熊野那智大社に向かうため、小雲取越、大雲取越の順でコースをご紹介しています。
番号:130010
◆コースの概要/距離:69.7km、所要時間:1387分、高低差:825m 
◆コースの起点/地名:滝尻王子、最寄駅:-、最寄のバス停:龍神・明光バス 滝尻、最寄からの距離:0.08km 
◆コースの終点/地名:熊野那智大社 、最寄駅:-、最寄のバス停:熊野交通 那智山、最寄からの距離:0.4km 
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 
◆推奨季節/春・秋 
◆その他/- 
◆コースに関する問い合わせ先/田辺市 観光振興課、電話番号:0739-26-9929


googleマップ

起点 滝尻王子
熊野九十九王子のうち、五体王子の一つとして重要視された由緒ある王子。ここでは垢離をとり御歌会や御神楽が開かれた。旧社地は明治22年の洪水で流され、その対岸に社祀を移した。明治以降には神社合祀が行われたが、戦後は各集落に御神体を持ち帰ったため、実質的にもとの滝尻王子に戻っている。境内に橋を供養した宝篋印塔とそれに並んで宝珠の失われた町石笠塔婆といわれる笠塔婆がある。
0.5km (20分)
1 不寝王子
剣山の中腹に有り元禄2年の紀南郷導記には、「修衡の窟の側に不寝王子という小社の跡があって、白砂などが残っているが廃れた…..」と記述されている。
3.2km (90分)
2 高原熊野神社
社殿は春日造の桧皮葺で、この街道にある最古の神社建築である。熊野詣の途次である為に、九十九王子とは別に室町時代に熊野権現を勧請したと見られている。
1.8km (50分)
3 大門王子
享保8年(1723年)に紀州藩がすでに社のなくなっていた王子社に緑泥片岩の碑を建てた。その碑と並んで宝珠と笠が失われた滝尻王子と同じ笠塔婆が建つ。大門王子には熊野本宮大社の大鳥居があっただろうと言われている。
1.35km (35分)
4 十丈王子
重點王子とも言われる。十丈峠にあり、江戸時代には付近に数軒の茶屋があった。明治の末期まで村社として祀られていたが、他の神社に合祀され廃社となった。
3.9km (95分)
5 大坂本王子
逢坂峠の麓にあり、坂が急峻なため、「大坂」の名がある。社地が辛うじて見られるが、ここに完全に整った笠塔婆が一基ある。
1.6km (35分)
6 牛馬童子
牛馬1頭の背にまたがった僧服婆の石像の牛馬童子。この地を箸折峠といい、ここに花山法皇が埋経された宝篋印塔が建ち、牛馬童子と隣接している。
0.5km (10分)
7 近露王子
熊野街道の要所で、明治末期、近野神社に合祀されて廃社となり境内にあった杉の大木も伐られ社殿も間もなく老朽し、取り壊された。
建仁元年に近露宿所、御所が近露王子の対岸にあったと記されている。社地は今もそのまま保存され「近露王子之跡」の碑が残されている。
2.7km (39分)
8 比曽原王子
車道脇の山の斜面、杉の木のもとに緑泥片岩の比曽原王子の碑がある。この碑は、江戸中期にすでに社殿がなかったため立てられたものである。


1.2km (20分)
9 継桜王子
この王子は若一王子権現とも言われる。石段の両側には、杉の巨木が立ち並び、枝が一方に張り出しているので、一方杉と呼ばれ県の文化財に指定されている。
継桜王子の南側下方30mの所に、日本名水100選の一つ「野中の清水」が今もこんこんと湧き出ている。
継桜王子から約100m東には、奥州藤原秀衡にまつわる伝説の桜である「秀衡(ひでひら)桜(ざくら)」がある。
1km (15分)
10 中川王子
高尾隧道口の少し東方車道の上方の山中に「中川王子」と刻んだ緑泥片岩の碑が見られる。
2.1km (30分)
11 小広王子
車道の小広峠の道端に上部の折損した緑泥片岩の小広王子碑が建てられている。
0.7km (15分)
12 熊瀬川王子
小広峠を下ってわらじ峠の上りにかかって間もなく、道の左側に熊瀬川王子の跡といわれる場所がある。鎌倉末期の熊野縁起に出ている熊背川王子はここかとみられるが小広峠とする説もある。
5.1km (85分)
13 蛇形地蔵
蛇形石はこの道湯川の谷に産し石面に蛇の模様がついている。この蛇形石を光背代りにした地蔵が蛇形地蔵尊でありぜん息、腰部、尿等の効験が伝えられている。
0.4km (7分)
14 湯川王子
この王子は、准五体王子にあがっており要所の一つであった。明治の末期、近野神社に合祀され、土地の人びとは、小さい社殿をのこし祭礼をつづけてきたが、無住の地になり社殿も倒壊していたのを近年修復しており、境内は広大で静寂そのものである。
4.3km (82分)
15 猪鼻王子
天仁2年(1109)藤原宗忠は谷川を数度渡って猪鼻王子に赴いている。 玉滝山の山裾が音無川の河原に迫っている平地に緑泥片岩の石碑が桧の木立ちの中にうずもれて建っている。
0.8km (15分)
16 発心門王子
この王子は、道をのぼりつめたところにある。天仁(1108~1109)のころより、五体王子として格別の崇敬をうけており、当初から聖域の入口として新たな祈りがこめられたにちがいない。藤原定家が熊野御幸記で、紅葉の名所と記録している。
1.7km (30分)
17 水呑王子
この王子は碑銘のように水呑ではなかったようである。正中3年(1326)の仁和地蔵熊野縁起・文明5年(1473)の九十九王子記にも内水飲王子とよばれている。江戸時代のはじめ頃から水呑となってしまったようだ。
この王子は、分校の改築で旧境内の中を移動しているが、その分校も今はない。
1.9km (30分)
18 伏拝王子
中辺路ルートを歩いてくると、初めて目的地である熊野本宮大社が直視できるところ。その喜びのあまり伏し拝んだことが「伏拝」という地名の由来である。
境内には和泉式部の供養塔と、一定の距離を示すために13世紀に建てられた笠塔婆がある。
3.1km (55分)
19 祓殿王子
いまの熊野本宮大社のすぐ裏手にあたるところで、楠やイチイガシの大樹のかげに石造の小祠が祀られている。
この王子は大社境内に最も近い王子で御幸のころは、旅の汚れを清めるための性格が強いようにみられ、祓殿の名がつけられたのであろうといわれている。
0.2km (3分)
20 熊野本宮大社
熊野三山の中心として、その厳粛なたたずまいは、遙かなる願いを込めて訪れた人々の心の中に清く深く印象づけられる。正面の神門をくぐれば、国の重要文化財である社殿が鎮座し、主神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)が祀られている。明治22年までは近くの大斎原にあったが、大水害で被災し現在の地に遷された。
平成16年に世界遺産として認定されている。
0.8km (10分)
21 大斎原(旧社地)
大斎原は熊野本宮大社の旧社地である。
現在地の南600m、熊野川・音無川・岩田川が合流する地点の中州で、こんもりとした森におおわれている。
熊野信仰発祥の地である。
3.2km (40分)
22 請川
熊野本宮大社から熊野那智大社に向かう小雲取越の起点。番号道標は54番から1番に向かって行くことになる。
小雲取越の途中にある「百間ぐら」は山深い紀伊半島の果ての無い峰々を眺望できる名所である。
7km (135分)
23 賽の河原地蔵
賽の河原とは、死んだ子が地獄で親の供養のために石を積んで塔を作る所とされている。江戸時代後期の武蔵国の人の供養碑のようで、たくさんの小石が供えられている。狼に喰われた若い僧を弔うためのものとも伝えられている。
5km (105分)
24 小和瀬の渡し場跡
雲取越は、小和瀬を中間点として、大雲取越と小雲取越とに分けられている。
その昔、小和瀬には渡し舟があって、熊野三山に参詣する道人は、何文かの銭を出して赤木川を渡った。現在は小和瀬橋が架かり、すぐ近くに小雲取越の登山口がある。
2km (43分)
25 円座石
大雲取越の道のそばに、円座石(わろうだいし)といわれる大石が四つある。「わろうだ」とは昔の円形の座布団のことで、大石の上で円形の敷物に熊野の神々が座って談笑したり、お茶を飲んだりしたといわれている。大石には梵字三字(阿弥陀仏・薬師仏・観音仏の三仏の意味)がほられ、この辺りは神の御茶屋所といわれてきた。
1.4km (30分)
26 楠の久保旅籠跡
この付近は、江戸時代には十数軒の旅籠があり、大変にぎわった。当時の参詣者の記録によるとここは猿が多く、大根や菜を植えても取られてしまい、旅籠で旅人に出す食事には干蕨(ほしわらび)しかないと書かれている。
7.7km (178分)
27 船見茶屋跡(船見峠)
大雲取越の中で一番標高の高い峠。ここに「西国三十三所名所図会」にでてくる船見茶屋の跡がある。茶屋跡には東屋が整備されており、ここからの眺めは絶景。妙法山や遠くに太平洋まで遠望することができる。
4.4km (85分)
28 那智山青岸渡寺
西国三十三札所の第一番札所として有名な那智山青岸渡寺。4世紀頃、インドの僧、裸行上人が那智大滝での修行を積んだ暁に観音菩薩を感得し、それを安置したのが始まりとされている。
現在の本堂は天正18年に豊臣秀吉によって再建されたもので、平成16年には世界遺産としても認定されている。
-km (-分)
終点 熊野那智大社
熊野本宮大社、熊野速玉大社、那智山青岸渡寺とともに熊野三山と呼ばれる全国3、000社の熊野神社の御本社の一社。平安時代より歴代上皇を始め、多くの人々が詣でるなど、古来より多くの人々の信仰を集めてきた。
那智山青岸渡寺と並び、平成16年に世界遺産として認定されている。