「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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「太平記」の舞台・潮風の道

『太平記』では、元弘の変(1331)に敗れて、隠岐島に流された後醍醐天皇が、1333年、隠岐島から脱出して名和湊に漂着し、名和長年が迎えいれ、船上山の戦いで鎌倉幕府軍を敗り、建武の新政を開いたことが語られています。その舞台です。後醍醐天皇や名和長年に関する史跡が多<あるとともに、古代山陰道から連綿と続く伯耆往来の歴史的な道を歩き、沿道の集落のたたずまいは往時を偲ぶことができます。ルートは、里山、集落、海岸、田園地帯の中の小路を大山と海を眺めながら、のんびりと歩くことのできるコースです。
番号:131002
◆コースの概要/距離:14.5km、所要時間:260分、高低差:50m ◆コースの起点/地名:御来屋駅、最寄駅:JR山陰線 御来屋駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km ◆コースの終点/地名:御来屋駅、最寄駅:JR山陰線 御来屋駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/大山町役場 観光商工課、電話番号:0859-53-3110





起点 JR御来屋駅
明治35年11月1日に、鳥取県で初めて鉄道が開通。この時の開通区間が、物資の睦揚げ地である境港から、陸軍軍馬補充部を近くに持つ御来屋間でした。御来屋駅は、その当時の駅舎が現存しており、山陰鉄道発祥当時の面影を色濃く残す、山陰最古の駅。平成14年には、山陰鉄道発祥100周年を記念して旧駅舎を改修しました。
1.1km (15分)
1 お腰掛けの岩
元弘3年(1333)に隠岐島を脱出された後醍醐天皇が、無事に名和湊(現在の御来屋港)に到着された際、しばらくの間お腰掛けになった岩と伝えられています。30年ほど前までは海の中にありましたが、漁港の改修により、そのままの位置で海面から1.4m持ち上げられて、現在では陸の上に位置しています。
0.1km (3分)
2 元弘帝御着船所の碑
お腰掛けの岩の南にあります。後醍醐天皇が御来屋に上陸されたとき、納屋に板戸を立ててしばらくの間天皇をかくまった家に、天皇は「ここはまるで鳥のねぐらのようだ」ということから「聯(ねぐら)家」という名前を下賜されました。後に鳥取藩がその功を賞して建てたとされる碑が、御来屋街道沿いに残っています。
0.2km (5分)
3 住吉神社
摂津の国(大阪府)にある官幣大社・住吉大社の御分霊をおまつりしています。後醍醐天皇が隠岐島から御来屋に上陸された際、コチラに奉幣したという伝説があります。隔年の11月3日は、住吉船曳神事(すみよしふなひきしんじ)で賑わいます。
0.4km (10分)
4 名和駅
名和駅は、もともと桜の時期や名和神社の例祭日などに、臨時列車が停車するための駅でした。このことからも、明治~大正頃の御来屋の町と名和神社の賑わいをうかがい知ることができます。今ではひっそりとしていますが、この駅のホームから見る夕日は、まるで映画のワンシーンのように、日本海と御来屋の町の屋根瓦が茜に染まり、訪れた人の郷愁を誘います。
0.1km (2分)
5 名和公園
園内こは、数百本の桜の木が植えられ、4月の開花時期になると、後方こそびえる大山や船上山にゆったりとたなび<霞に連なり、その景観は桜の名所として古くから定評があります。また、公園の北端からは、真っ青な日本海のパノラマも―望できます。木製遊具があるので、ご家族でのお花見にもおすすめ。ゴールデンウイーク頃には、つつじの名所としても多<の花見客で賑わいます。
0.3km (5分)
6 名和神社
後醍醐天皇を隠岐の島からお迎えし、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公をはじめ、一族郎党42柱の英魂をまつった元別格官幣社。現在も、名和公の子孫が宮司として奉職しています。今の名和神社は明治16年、旧社(今の氏殿神社)をそのままに新しく建てたもの。また、この地は名和長年公の倉の跡との言い伝えがあり、現在でも、社殿の裏から焼き米が出てくると言われています。
1.2km (30分)
7 名和公屋敷跡
名和氏2代の館の跡であったと伝えられ、「又太郎屋敷」または「デー(殿)の屋敷」と呼ばれています。中世の「武家造り」で、館の前には東谷川を利用した川堀、後ろには土塁で囲まれた跡もみることができます。ここは当時、館の客間があった場所とも言われています。
0.3km (10分)
8 長綱寺
名和長高(後の長年)公が父・行高の60歳を祝って建てた隠居所が始まり。後醍醐天皇が吉野へ追われ足利氏の時代となってからは、ここが名和長年公にゆかりの場所であることを知られないため、「長高庵」を「長綱庵」に改名し、現在に至っています。寺紋は帆掛け船で、後醍醐天皇から名和氏に賜ったものです。
0.1km (5分)
9 名和公一族郎党の墓
名和長年の菩提寺である長綱寺の裏山にあります。大小200基ほどの五輪塔があり、これらは長年公が船上山で鎌倉幕府と戦ったときに戦死した―族をまつったもの、あるいは館に残った―族の女性や子どもたちの墓とも伝えられています。やがて後醍醐天皇が吉野へ追われた後、足利氏の家来によって墓を荒らされることを心配した名和公の子孫が土中に埋めて隠したものが、昭和5年になって地元の農家の人によって発見されました。その後発据され、現在の形にまつられています。
0.3km (10分)
10 的石
縦170cm、横150cmの大きな石。弓の名手であった名和長年公が、弓矢の稽古をするときに的にした石と伝えられています。雨が降りやんだ後、太陽が照り出すと、石の表面に白く二重の輪が浮かび上がり、弓道の的のように見えます。
0.2km (5分)
11 氏殿神社
名和神社の旧社殿。もとは名和長年公の館の跡といわれ、地元の人が「氏の殿」とまつっていましたが、江戸時代、鳥取藩主池田光仲公の命令で、「氏殿権現」としてまつられるようになりました。境内には、池田公が名和氏の功績を称えた顕彰碑が建立されています。
0.5km (3分)
12 三人五輪
長者原と呼ばれる畑の中に、大きな五輪塔が3基と小さな五輪塔が2基の計5基あります。3基の大きな五輪塔の、向かって左から名和長年公(京都大宮で戦死)、長男の義高公(泉州堺:大阪府で戦死)、三男の高光公(西坂本:滋賀県で戦死)の首が葬られています。名和長年公らは、足利尊氏が後醍醐天皇から離反した後も、最後まで天皇を守って戦い、計死した彼らの首を、家臣が守って持ち帰りここに祀ったと伝えられています。
1.6km (30分)
13 伯書往来と大山道分岐
「左大山道」の石製の道標が残っています。この地点が、伯誉往来と霊峰大山への参詣道である大山道との分かれ道です。
0.9km (10分)
14 旧山陰道
旧山陰道に沿って、昔ながらの情緒あふれる街なみが続きます。このあたりの細いながらも、まっすぐに延びる道路は、古代山陰道の痕跡を色濃くとどめています。
2.3km (20分)
15 伯書往来
別名「殿様道」とも言われる旧山陰道。街道沿いに情緒あふれる街なみが続きます。

1.6km (35分)
16 木料海岸
夏には多<の海水浴客でにぎわいます。また、砂浜一面にハマヒルガオの群生があり、6月にはかわいらしい花を咲かせます。木料展望所も設置され、昼食や海岸での一服に最適のポイントです(トイレあり)。
2.7km (45分)
17 下坪海岸
潮のかおりと静かな潮騒の中ゆったりと歩ける海岸ロード。天気のいい日は、砂浜を歩<ことをお勧めします。

0.3km (5分)
18 西坪海岸展望所
はるか西方に島根半島が眺められ、天気のいい日には島根半島も見えます。
0.5km (10分)
終点 JR御来屋駅