「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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智頭往来 志戸坂峠越

鳥取城下から用瀬を経て智頭町に入り、志戸坂峠を越え岡山県西粟倉村、兵庫県姫路市に至る道が智頭往来(因幡街道)です。畿内と因幡地方を結ぶ最も重要な道として、鳥取藩の参勤交代の道、上方への主要道として重要な役割を担ってきました。
 志戸坂峠は、三十三曲がりと呼ばれ、非常に険しく、また冬は雪が深く、牛馬も通わなかったようです。往時の智頭往来の姿に想いをめぐらせながら山道を歩くもよし、史跡を散策しながら、かつてこの道を往来したであろう人々に想いをはせ、四季折々の自然と歴史の旅が楽しめます。

番号:131003
◆コースの概要/距離:4km、所要時間:60分、高低差:300m
◆コースの起点/地名:山郷駅、最寄駅:智頭急行 山郷駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0km
◆コースの終点/地名:志戸坂峠、最寄駅:智頭急行 あわくら温泉駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:6km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:無、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:無、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/夏・秋
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/智頭町 教育委員会、電話番号:0858-75-3113





起点 智頭急行山郷駅
0.1km (1分)
1 中原観音堂(なかばらかんのんどう)
創建は定かではありませんが、大永年間(1521~28)には現在の場所にあったようです。現存する建物は、元禄三年(1690)に妙清なる人物が再建し、津山藩森長可の妹が尼僧であったと伝えられています。
1.4km (19分)
2 魚(うお)の棚(たな)
今から300年程前に書かれた旅行記『因府上京海道記』に「此処に絶景あり、秋葉茂りて石の組みよう水流れる形、一つ橋の架りたる態造りたる庭の如し」と紹介しています。現在でも当時と変わらない風景が残っています。
0.3km (5分)
3 副(そう)ヶ瀧(たき)
因幡の名所として、『因幡民談記』や『因幡誌』に「上方街道の南側、川岸の嶮山(けんざん)なり。山勢杉木の並び立つが如く。群峰争い聳(そび)ゆ。飛泉あり。常は水乏しく涸瀧なれど、雨あれば隨いて瀧の数多し。当国名所の一にして古歌にも山を詠める」と紹介しています。現在、副ヶ瀧の前には「けふいなば、そふの瀧山こえるなり、都にかけよ夢のうきはし」のほか、瀧を詠んだ歌碑が多く建てられています。
0.7km (10分)
4 念仏岩(ねんぶついわ)
駒帰には、六地蔵と元禄二年(1689)に岩壁に刻まれた念仏誦供養があります。伝承では、村に疫病が流行り、難渋した村人が一結して亡き人の供養をしたといいます。当時の村人20名余りの名前とともに、悪霊を流す意味でしょうか、舟らしきものが刻まれています。
0.8km (10分)
5 泣(な)き地蔵(じぞう)
俳人尾崎放哉(ほうさい)は上京する途中志戸坂峠にて「駒帰り峠に向かう霰(あられ)かな」と詠んだ俳句で、「山険なれば駒も返るとて此称あり。山陰と山陽とを分って、中天に聳ゆ。絶頂に地蔵あり。泣地蔵と云ふ。始めて郷関を辞する者、皆ここに来って泣くが故なり。」と書いています。
0.7km (15分)
終点 志戸坂峠越(しとさかとうげ)
現在は、旧国道の志戸坂隧道のそばに移設してあります。