「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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寒霞渓 表12景・裏8景 遊歩道

小豆島は瀬戸内海に浮かぶオリーブの生産が盛んな風光明媚な島です。その中心地にある『寒霞渓』は瀬戸内海国立公園に指定され日本三大渓谷美の1つにも数えられます。この寒霞渓には『表12景・裏8景』と呼ばれる2つの遊歩道があり、長い歳月により創り出された奇岩怪石やショウドシマレンギョウ、ヤハタマイマイ等小豆島だけで見ることのできる希少な動植物、野生のニホンザル群等、春の山桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々に変化する美しい景色を楽しんでいただけます。
番号:137005
◆コースの概要/距離:4km、所要時間:120分、高低差:317m
◆コースの起点/地名:通天窓、最寄駅:-、最寄のバス停:神懸線 紅雲亭、最寄からの距離:0km
◆コースの終点/地名:猪谷池、最寄駅:-、最寄のバス停:神懸線 猪谷、最寄からの距離:0km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/秋
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/小豆島町 企画振興部商工観光課、電話番号:0879-82-7007




起点 通天窓
この岩には天に通ずる窓のように穴が開いています。
0km (0分)
1 紅雲亭
深い谷あいの清流に佇む東屋です。下の河原は素麺が流れているように見えることから「素麺流し」と呼ばれます。
0.2km (5分)
2 錦屏風
巨大な屏風を立てたような形をしています。秋には、赤や黄色の紅葉でまさに錦屏風になります。
0.1km (5分)
3 老杉洞
杉の老木と洞窟からこの名前が付けられています。洞窟の内部は百畳敷きといわれています。
0km (0分)
4 正岡子規句碑
「頭上の 岩をめぐるや 秋の雲」この俳句は正岡子規が明治24年(1891)に寒霞渓を訪れた時に詠まれたものです。句碑の文字は、その時の色紙の書体を拡大して刻んだものです。
0.2km (5分)
5 蟾蜍巖
ひきがえるが、はいつくばってこちらを見ているようです。
0.2km (5分)
6 玉筍峰
玉筍とは、竹の子のこと。まさに竹の子が天にそそり立つように見えます。
0km (0分)
7 画帖石
この大きな安山岩は旅の思い出を写し描く画帖(スケッチブック)のようです。
0.2km (5分)
8 層雲壇
雲が段々と重なり合っているような岩々はまるで雲の祭壇のようです。
0.2km (5分)
9 荷葉岳
ハスの葉の葉脈を裏側から見たようです。
0km (0分)
10 烏帽子岩
今にも落ちてきそうな岩は、まるで神主のかぶる冠のようです。
0.3km (10分)
11 女蘿壁
昔、女蘿というサルオガセが髭のように風になびいていました。「サルオガセ」とは針葉樹の枝に絡みつく地衣植物(コケ類)です。
0.2km (5分)
12 松尾芭蕉句碑
「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」安政二丙辰年、名古屋の俳人可大が来遊中、芭蕉のこの句を書き記しました。
0.1km (5分)
13 四望頂
標高約570mの頂からは目前に広がる海、山、空の美しい四方の眺望を楽しむことができます。
0.2km (5分)
14 鷹取展望台
応神天皇が鷹狩りをしたといわれる場所で、瀬戸内海の美しい眺望を楽しむことができます。映画『八日目の蝉』のロケ地にもなりました。
0.1km (5分)
15 寒霞渓 山頂
こううん駅から山頂までロープウェイに乗り、約5分間の空中散歩を楽しむことができます。山頂には、レストラン・売店があり総工費1億円のトイレも利用できます。
0.5km (15分)
16 鹿岩
まるでシカが東の山並みを見ているようです。獅子やラクダにも見えます。
0.2km (5分)
17 松茸岩
名前の通り松茸の形をしています。
0.7km (20分)
18 石門
自然が作った火山角礫岩(集塊岩)の石の門です。
0km (0分)
19 大師洞
小豆島八十八ヶ所霊場の第十八番札所です。弘法大師が洞窟に籠られ護摩修行をされたことから大師洞と呼ばれ人々の信仰を集めました。岸壁には丹後の田中作治作で寄せ石造りでは日本一といわれる二丈八尺の不動明王大石仏があります。
0km (0分)
20 幟岳
幟のような形をしています。別名「天柱岳」(天を支える柱)とも呼ばれます。
0.1km (5分)
21 大亀岩
巨大な亀が山をはい登っているようです。
0km (0分)
22 二見岩
伊勢の二見ヶ浦にある夫婦岩に由来します。
0km (0分)
23 法螺貝岩
山伏が吹くほら貝の形をしています。岩の右下部には洞窟があります。
0.5km (15分)
終点 猪谷池
徳川吉宗時代の享保4年(1719年)に作られ、大昔から島の稲田を潤し、渇水時には水源の1つにもなったようです。