「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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龍馬 志士天命の道 土佐北街道(立川参勤交代道)

歴史的には9世紀後半、平安時代初頭に土佐国衙に至る新道として敷設された太政(だじょう)官道を起源とし、江戸期に土佐藩主山内家によって参勤交代時の利用に供されました。幕末期には3度にわたり坂本龍馬が江戸との行き来や当時の時勢を知るために足跡を残しました。物流が国道で大きく変革するまで太平洋と瀬戸内を結ぶ重要な交易路として、また金毘羅詣での参詣道として発達しました。
当時の面影を色濃く残す、歩道としての近世街道を紹介します。
番号:139007
◆コースの概要/距離:10.2km、所要時間:320分、高低差:730m ◆コースの起点/地名:大豊町立川下名柳瀬、最寄駅:JR土讃線 大杉駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:7.8km ◆コースの終点/地名:大豊町 笹ヶ峰峠、最寄駅:JR土讃線 大杉駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:20.1km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:無、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:無 ◆推奨季節/春・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/大豊町 プロジェクト推進室、電話番号:0887-72-0450





起点 柳瀬の渡し(吊り橋)
現存する土佐北街道の入り口部分。現在は県道5号線側から対岸の街道を結ぶ鉄製のつり橋があるが、当時は参勤交代時のみ仮設の板橋が架けられていた。橋を渡ったところに街道全体の案内看板を設置している。当初から刈屋まで西岸を進む。トイレと駐車場はない。
0.8km (45分)
1 展望台(東屋)
柳瀬の渡しから人一人がやっと通れる山道を登り進んだところに位置する(途中、高速道敷設による付け替え工事箇所あり)。昭和末年に建設され、対岸には現代の街道、高知自動車道の「立川パーキングエリア」を望むことができる。
0.1km (2分)
2 旧個人別邸
街道を取り込む形で宅地造成がされているが、現在は企業の所有となって立ち入りの許可を得ている。街道は門を入って屋敷奥の小さな橋につながる。
1.8km (70分)
3 通称 千本しらや橋(香谷橋)
舗装がしてある林道 立川千本線に接続する箇所。林道は狭く、駐車スペースはない。
1.5km (45分)
4 警護屋跡
山の中を上り下りしながら進んだ先に茶畑がある。街道の西側に2軒の個人宅が現れるが、その手前の梅林に街道警備を行った警護屋跡があった。
0.1km (2分)
5 刈屋の渡河箇所
現在ではコンクリートの橋があり、県道5号線に接続する。また当所より旧立川番所書院まで、ルートは2つある。
0.3km (5分)
6 藤川の渡し
対岸の立川口上名番所への渡河箇所。近年まで木製の沈下橋が敷設されていたが現在はない。

0.2km (4分)
7 立川口上名番所跡
江戸時代前半期までは建物があり、参勤交代時には後述の旧立川番所書院(立川口下名番所)と交互に本陣を務めた。出火によって建物は失われた後、再建されることなく現在は故地だけが知られている。


0.3km (10分)
8 国重要文化財 旧立川番所書院
上名番所焼失後は藩主宿泊所として唯一の本陣となった。明治になって土地建物が民間に払い下げられ、一部改築されて旅館が営まれていた。昭和48(1973)年に町へ譲渡され、翌年に国重要文化財に指定。同50年に解体修復工事が行われて以前の姿に復した。トイレあり、日曜・祝日のみ内部公開。
0.3km (5分)
9 荷宿跡
山海の物資が集まる荷つなぎ場所兼宿屋があった場所。安政5(1858)年、水戸藩士 住谷寅之助らと坂本龍馬が当時の時勢について会談した場所として知られている。現在では建物等は残っていないが、多くの龍馬ファンが故地を臨むために来訪している。
0.3km (10分)
10 駕籠立休憩所
参勤交代時には、これからの急坂に備えて陣容を整えて休息した場所。若干開けた場所にある。
1.7km (80分)
11 木番所跡
急坂が続く箇所。二つの番所を預かる庄屋が交代で詰めていた、街道で最高所に位置した番所。建物は残っていないが、路傍にある巨石が目印になる。
1.2km (20分)
終点 笹ヶ峰峠休憩所(榜木)
街道最高所の休憩所で、参勤交代時にも駕籠をしばし留めた。のちに茶店も出たとの記録がある。峠には伊予(愛媛県)との国境を示す榜木が建てられている。