「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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坂本龍馬脱藩の道

坂木龍馬は、同志渾村惣之丞とともに、1862年3月25目に梼原に到着、那須父子の案内により宮野々番所、四万川茶や谷の松ケ峠番所を抜け予土県境・韮ケ峠から伊予の国に脱藩した。また吉村、前田、中平が国境を越え維新動乱の渦中に身を投じた。六年後明治維新 近代国家が誕生するが、その時既に八人の志士は壮烈な死を遂げていた。今、山中に残る説藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を駆け抜けた男たちの意志が偲ばれる。日本の夜明け夢見、歴史を動かした志士たちが歩いた道である。
番号:139009
◆コースの概要/距離:26km、所要時間:480分、高低差:550m 
◆コースの起点/地名:神在居、最寄駅:-、最寄のバス停:とさでん交通梼原線 野越、最寄からの距離:0km 
◆コースの終点/地名:韮ヶ峠、最寄駅:-、最寄のバス停:高陵交通四万十川線 竜王、最寄からの距離:6km 
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:無、近隣の宿泊:有 
◆推奨季節/春・夏・秋 
◆その他/- 
◆コースに関する問い合わせ先/梼原町 教育委員会生涯学習課、電話番号:0889-65-1350





起点 神在居 棚田
急峻な山肌に開かれた棚田は堅牢な石垣に守られ幾層にも重なり合う。千枚田とも呼ばれているこれらの棚田は、地域の歴史と共に、地域の人々の相互扶助で営々と築かれ守られてきた農業の原風景です。棚田オーナー制度の発祥地。
1km (10分)
1 中平善之進打首の地
梼原村大庄屋中平善之進は、津野山一揆の最高責任者として自ら名乗り出て拷問連続の中にも堂々と赤誠を披漫して制度の徹廃と不正商の―掃を叫び、打ち首の刑に処せられた所で、風早峠といわれている。
1.6km (20分)
2 太郎川公園
津野氏入国以来培ってきた文化、伝統を顕彰し、国道197号の県境開通を記念して、フラワーロード運動や国土庁指定リフレッシュふるさと推進モデル事業により、地域の活性化を図り、四国カルスト、四万十川など豊かな自然、千百年を超える歴史と伝続、旅人をいたわり、慰めてきた「茶堂の心」をもって都市との交流を深め、都会人には心のふるさととやすらぎを与え、「日本の文化は山村から」という誇りを持って力強く生き抜くために、この公園を設置した。平成19年森林セラピー基地認定に伴い、セラピー拠点施設。

1.5km (20分)
3 瀑本山徳泉寺
子安観音を祀り通称「湯本さま」として住民の信仰も篤い。天正16年(1588年)以前からあり、1666年7月の大洪水により本堂は流失したが、ときの庄屋中平兵部定光により再興され、馬頭観音を祀った。仏像三体及び「吾唯足るを知る」の盆や天井絵も保存されている。
0.5km (7分)
4 那須俊平・信吾邸跡
坂本龍馬が文久2年(1862)3月25日同志渾村惣之丞とともに、梼原に到着、その夜を梼原の勤王の志士那須俊平・信吾父子の家に泊まった。
0.6km (7分)
5 東町の茶堂
弘法大師、孝山霊、三界万霊を祭り、厄払招福の祭りを行う。木像、石像等の諸仏を安置して祀り、行路の人々に茶菓の接待を地区民が輪番で行い、信仰と心情と社交の場として役割を果たしてきた。
0.1km (2分)
6 六志士の墓
明治維新のさきがけとなり、身命を賭して国事に殉じた六人の分霊を祀った墓地。(吉村虎太郎、那須俊平、那須信吾、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉)
0.2km (3分)
7 旧掛橋和泉邸
明治維新の志士掛橋和泉邸は、代々神職を勤め子孫により守り継がれてきた。藁葺屋根で六部星からなり、奥の間は天井が低く、危難の際を考慮して階上に「姫隠しの間」がある。幕末には近隣の同志が、よく立ち寄り時局を談じたと伝えられている。
0.1km (2分)
8 ゆすはら座
芝居や歌舞伎、映圓など住民の娯楽の殿堂として隆盛を極めたが、時代の変遷とともに利用度が低下した。県下で唯一の木造芝居小屋であり、文化遺産の一つである。
1km (10分)
9 三嶋神社
津野郷の開祖津野経高が、延喜19年(919)竹の薮より移り、居城を築き、梼原宮首に伊豆より三島大明神を勧請したといわれている。拝殿の彫刻物は、山口県の宮大工中本喜助作である。津野家代々を祀る津野神社、朝鮮松(ハリモミ)、桂月大町芳衛書の「鎮座千年碑」木で作られた神馬もある。参道が龍馬脱藩の道でもあり、屋根付き木橋と三島神社、梼原川が絶景である。
0.3km (5分)
10 天徳山吉祥寺
開山は、大永年間(1521~1527)天徳祐和尚と伝えられている。津野氏の敬信も篤く、逆修般若経の奉納、定朝作の大目如来像も安置され、津野氏の全盛時代を物語る資料もあったが、明治初年の廃仏毀釈に支えきれず、一時廃寺となった。京都大仏師駒野丹下が享保元年(1716)作の聖観世音菩薩、大日如来、地蔵菩薩の三尊仏像と大般若経六百巻が保存されている。

0.5km (6分)
11 維新の門
坂本能馬、渾村惣之丞、吉村虎太郎、那須俊平、那須信吾、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉の志士の足跡の残る地に、ハ志士の群像を建て「維新の門」と名付け、その功績と英姿を永遠に伝える。
4km (60分)
12 宮野々番所跡
寛永6年(1629)に始まり、宝暦時代から明治初期まで、世襲で番役人を勤めた。当時は、県境の九十九曲峠経由で、予土の交通の要所で、明治維新の志士の説藩関所として、よく知られている。
7.2km (120分)
13 茶や谷茶堂
弘法大師、孝山霊、三界万霊を祭り、厄払招福の祭りを行う。木像、石像等の諸仏を安置して祀り、行路の人々に茶菓の接待を地区民が輸番で行い、信仰と心情と社交の場として役割を果たしてきた。
1.5km (25分)
14 松ケ峠番所跡
土佐では、道番所といわれ、享保元年(1716)「道番所定式」付録によると、領内の関所は81ケ所で、そのうち63ケ所は国境番所、18ケ所が内番所であって、現在の梼原町には両方合わせて16ケ所の番所があった。この松ケ峠番所は、予土の交通の北の要所としての番所である。坂本龍馬が脱藩した際、「坂本龍馬まかり通る」と名のり、堂々とこの番所を抜けたという地元の口伝が残されている。
5.7km (180分)
終点 韮ケ峠(龍馬説藩の地)
坂本龍馬が土佐人から日本人になる第一歩を記した県境の地。