「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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『長崎街道と小倉城城門めぐりの道』

豊前小倉藩、細川氏四十万石~小笠原氏十五万石の城下町です。紫川を挟んで、細川氏以前からの城下町の西曲輪と、細川氏時代に町民の町として開発された東曲輪から構成されます。
江戸時代には大小併せて48ヶ所の門があったとされています。小倉の五街道から城郭の外に出る門として、到津口門、中津口門、香春口門、溜池口門などがあり、城から領内に出る門としては、篠崎口門や蟹喰口門があり、小笠原時半ばから閉ざされた富野口門、清水口門がありますした。案内板が設置された代表的な門跡をウオッチングできます。
番号:140020
◆コースの概要/距離:8km、所要時間:125分、高低差:1~2m ◆コースの起点/地名:あさの汐風公園、最寄駅:JR鹿児島本線 小倉駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0.3km ◆コースの終点/地名:リバーウォーク、最寄駅:JR鹿児島本線 西小倉駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:0.4km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・夏・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/北九州市 健康推進課 北九州ウォーキング協会、電話番号:093-883-7444




起点 あさの汐風公園
小倉駅北口にあり、芝生が広がり噴水などもある都心のオアシス的存在。周囲にはホテルや病院などの高層の建物があり、小倉港の対岸に工場群が林立。夜景は絶景!
1.1km (15分)
1 常盤橋(木の橋)
江戸時代の小倉・五街道の起点であり、西に向かう室町の通りは「長崎街道」で、長崎へと通じる日本唯一の外来文化の通路として重要な役割を果たし、将軍への献上の白象も渡った。常盤橋は木製の橋ではあるが、橋脚は木ではなく石製であったことを示す橋脚の一部が袂に保存設置されている。他2脚が一般民家の庭の門扉として使われている。
0.4km (7分)
2 長崎街道ギャラリー(歩行観覧)
室町DCタワー1階室町通り(旧長崎街道)に面したショーウインドウギャラリー。武家屋敷・町屋跡発掘品を展示してます。
0.4km (7分)
3 大門跡
室町から長崎に向かう最初の門で、名前の通り大きな門だったようだが、江戸時代にはこの北側がすぐ海岸で、潮の流れや北風のため沢山の海藻が打ち上げられたことから「大藻」と呼び、それが訛って「大門」となったと云われている。なお、この門には門番はいなかった。門番はむしろ常盤橋の関所にいたと思われる。北側が海岸であったことを示す護岸の跡が見つかり保存展示されている。
1.3km (18分)
4 到津口門
小倉城の南西の門で長崎街道の出入り口であり、門の内側は広い「勢溜」だった。門の周辺はには、多くの寺が並んでいた。他の藩主の参勤交代の街道筋なので、門司口門と同様昼夜開門し、番所には20人が交代で勤めていた。
0.3km (5分)
5 清水口門
外敵を防ぐための城郭の外に濠と土手を築き、城内への出入り口の門であったが、あまり利用者がなかったらしく、幕末には門の外に土手を築いて通行できないようにしていた。いわゆる「明けずの門」である。
0.8km (113分)
6 篠崎口門(風の橋経由)
城から領内に出る門で、城下町の南端から木町や武家屋敷の並ぶ篠崎方面に出る門。この門を出て木町を、篠崎八幡神社の裏から尾根伝いに恵里に出る。
1.5km (20分)
7 香春口門(砂津川に沿って歩行)
城の東南の門で、神嶽川から豊後橋へ通じる豪の中間で、現在の馬借3丁目7番の間(モノレール小倉線下の道の東端)にあった。田川、香春、秋月、日田へ通じる香春(秋月)街道の起点である。朝七つ(4時)から夜九つ(12時)まで開門していた。門は南西向きであった。
0.6km (10分)
8 中津口門(旧中津街道経由)
城の東の門で、現在の紺屋町14番南端と古船場9番の北端が門跡である。そこから中津川の中津口橋を渡って、宇佐町を経て、黒原、湯川、曽根、行橋、中津へ至る。朝七つ(4時)に開門し、夜九つ(12時)に閉めていた。時間外は切手(村役・町役が発行する許可証)持参の者だけが通行を許された。門の両側の垣は大谷から運んできた大石で築かれていた。この石は明治34年に近くの古船場4番の高倉稲荷神社に移され、現在は八坂人神社に保存されている。
0.4km (7分)
9 菅原神社
菅原道真公が縁の地で知られる学問・文学の神社。小倉府内(城下町)の氏神として、信仰を集める。境内に祀られる御神牛は、体の悪いところを撫でると、痛みが治ると云われ、頭を撫でると、頭の働きが良くなると云われている。
0.9km (14分)
10 小倉城(大手門経由)
1602年、細川忠興公が約7年の歳月を経て築城した小倉のシンボル。初期天守の望楼に通じる外観構造「唐造り」の名城として知られてます。
0.1km (3分)
11 八坂神社(小倉城北の丸経由)
小倉城主の細川忠興が元和3年(1617)に祇園社を鋳物師町に祀った。明治時代に八坂神社と改名し昭和8年(1933)に小倉城内の現在地に移設された。忠興の眼病平癒祈願の石造り灯篭や花崗岩で造られた明神型に近い鳥居は県指定文化財に指定されている。
0.1km (3分)
12 小倉城庭園(虎の門口経由)
江戸時代の大名の庭園と武家の書院などを、小倉城主の下屋敷跡に再現。天守から見て寅の方角にある間口の広い正門が虎の門口である。
0.1km (3分)
終点 リバーウオーク北九州(職人口門)
個性的な構成と色彩の大型複合施設。勝山通り(小倉城の外堀を埋め立てて通りとした)に面した所に西曲輪(武士の町)で働く職人達が出入りしていた職人口門跡碑がある。