「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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都城島津家のルーツを訪ねながら歩く道

宮崎市と鹿児島市のちょうど中間に位置し今もなお薩摩の文化を色濃く残しています。幕末まで治めていたのが薩摩藩島津宗家の分家にあたる都城島津家です。初代北郷資忠は島津宗家4代忠宗の6男であり、室町時代の1352年に今の都城市山田町に館を構えました。時代は移り明治維新後三島通庸がこの地に地頭として赴任、わずか2年ほどの間にまちづくりを行い、その足跡をもたどることができます。明治期につくられた家々の石垣群も特徴があり、都城島津家のルーツを訪ねながら、ゆっくりとまち歩きを楽しむことができます。
番号:145008
◆コースの概要/距離:4.5km、所要時間:150分、高低差:45m
◆コースの起点/地名:庄内市民広場駐車場、最寄駅:-、最寄のバス停:霧島神宮・都城線 庄内病院前、最寄からの距離:0.4km
◆コースの終点/地名:庄内市民広場駐車場、最寄駅:-、最寄のバス停:霧島神宮・都城線 庄内病院前、最寄からの距離:0.4km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:無、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/春・秋
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/庄内地区まちづくり協議会、電話番号:0986-37-0888





起点 庄内市民広場
庄内地区の入口にあり、無料駐車場及びトイレを完備しています。また付近にコンビニエンスストア、自販機などあります。
0.3km (10分)
1 持永邸石垣(もちながていいしがき)
明治後期願心寺の石垣を造った鳥取県出身の徳永長太郎はその後も庄内地区に住み着き、後身の指導に当たりました。地区内屋敷の多くの石垣建設に携わり、自分の作った石垣は100年は大丈夫と言っていたそうですが、言葉通りたくさんの石垣群が残っています。
0.3km (10分)
2 釣瑛院跡(ちょうこういんあと)
都城島津家七代北郷数矢(1521年没)の菩提寺跡ですが二代義矢の供養塔、四代知矢、五代持矢とその室、七代数久とその後室の墓塔が残っています。それに浚言により謀反の疑いをかけられ金石城で自刃した十代北郷時矢の嫡男相矢の廟と乳母の墓が存在します。
0.2km (10分)
3 三島通庸遺徳の稗(みしまみちつねいとくのひ)
明治2年地頭として赴任した三島通庸は庄内に常備隊の編成、教育、産業の振興、道路の造成、堤防の築造、神社の修築等を僅か2年で驚異的に達成し現在の庄内地区の基盤を確立しました。その後通庸は山形県令、福島県令、栃木県令、警視総監等を歴任しています。
0.5km (20分)
4 南洲神社(なんしゅうじんじゃ)
昭和2年、庄内町西区では、西郷南洲没後50周年を記念して南洲翁の御霊と庄内出身戦没者56柱の霊を祀る神社を創建して区の鎮守様とする建議がなされました。鹿児島南洲神社からの分霊の交渉は難航しましたが昭和4年漸く区民歓喜の中で遷座が行われました。
0.2km (210分)
5 安永城跡(やすながじょうい)
都城島津家第六代北郷敏矢(1500年没)の時、領内の北の守りとして安永城を築きました。戦乱の時代が過ぎ、徳川政権の一国一城令で城郭は取り壊されましたがその後は領内五口六外城の一つ安永郷の要として仮屋が置かれその機能を果たしました。
0.8km (20分)
6 山久院跡(さんきゅういんあと)
都城島津家初代北郷資忠は1352年山田町古江に居館を構え領地の治政に当たりました。元古江にあった夫妻の墓所はその後庄内の現在地に移され資忠夫妻の菩提寺として供養されて来ました。廃仏稀釈で寺院は焼かれ五輸の石塔のみが現存しています。
-km (3分)
7 豊幡神社(とよはたじんじゃ)
都城島津家七代北郷数矢の時代、志和地城にあった応神天皇を祀るハ幡神社を現在地に遷したと言われています。明治3年三島通庸は諏訪神社、鹿島神社、豊幡神社を村社にしました。毎年の祭礼には今でも都城島津家の奉幣が続いています。
0.7km (20分)
8 諏訪神社(すわじんじゃ)
諏訪神社は、今から約660年前北郷300町歩を領した都城島津家初代領主北郷資忠が、領内の氏神として最初に創建した由緒ある神社です。毎年の例祭は歴代領主が主宰し藩政期を通じて領民参集の元で例規に則り厳粛に行われて来た記録が残っています。
0.6km (20分)
9 菅原神社(すがわらじんじゃ)
菅原道真公を文教の神として祀る社は全国1万2千社を数えると言われ、平安時代中期から広く信仰崇拝されています。ここの天神様は明治初期、三島通庸公が庄内文教の基を建てるため志和地科長神社から遷したと言われており、文教守護神として尊崇されています。
0.4km (12分)
10 清涼山願心寺(せいりょうざんがんしんじ)
明治9年、宗教の自由令が発布され、永い間厳しい弾圧に耐え抜いた浄土真宗もその禁制が解かれました。明治11年現在地に仮説教所が設けられ布教が始まりました。その後門徒総出で霧島国有林から筰を運び出し6年の歳月をかけて明治39年本堂が完成しました。
0.5km (15分)
終点 庄内市民広場