「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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山ケ野黄金の郷史跡めぐり

山ケ野金山は寛永17年(1640年)に時の宮之城領主島津久通によって発見され、昭和28年の閉山まで三百余年余りに及ぶ金山盛衰の歴史を有し、今もなお当時の史跡が多くの点在する黄金の郷です。また天降川源流沿いには豊かな自然と田園風景もみられ、癒しの空間も展開し、古社安良神社には安良姫の伝説が今もなお語り継がれています。山ケ野を訪れた者はみな、日常から非日常へタイムスリップしたような錯覚に陥り、その不思議な魅力に圧倒されずにはいられません。
番号:146015
◆コースの概要/距離:13km、所要時間:390分、高低差:150m
◆コースの起点/地名:薩摩の国境、最寄駅:JR肥薩線 大隅横川駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:9km
◆コースの終点/地名:丸岡公園、最寄駅:JR肥薩線 大隅横川駅、最寄のバス停:-、最寄からの距離:4km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/春・夏・秋・冬
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/霧島市 教育委員会 横川出張所 教育振興課 山ケ野金山文化財保護活用実行委員会、電話番号:0995-72-1596″





起点 高木入口 (境木、壷石)
薩摩の国と大隅の国の国境をスタートです。かつては「誠未」と呼ばれる木が両国の境に植樹されており、今はそこに標柱が立てられています。途中には壷石と呼ばれる珍しい石(中が空洞になっており、振ると音がする。)が採取され、「壷石谷」と言う地名も残っています。
0.5km (18分)
1 晒抗
明治基幹九坑の一つ。晒※を採掘しました。ここは開山当初から良鉱に恵まれ、鉱山近代化の資金源にもなりました。また坑ロ付近には事務所や飯場があって大変活気があったといいます。
1.5km (42分)
2 台々鼻
台々鼻(「ででんばな」と読む)は金山発見伝説の重要地点。探鉱の一行がこの地で野宿した際、夢の中で東の山に金鉱石があるとのお告げがあり、お告げのとおり一行は金鉱石を発見しました。夢の中でお告げがあったことから、このあたりは今でも「夢想谷(むそうだに)」と呼ばれています。
1.5km (48分)
3 徳源社
山ケ野金山発見の最大の功労者、島津久通を祀る。春秋年二回の祭りの際は数々の郷土芸能の奉納が行われ、沿道には約1キロに渡って見世物や売店が立ち並び、終日賑わったといわれます。(地元の食材やお茶の振る舞いあり)
1.5km (42分)
4 火入抗
開抗時期は不明だが、山ケ野金山の坑道の大方と通じていることから、本山開発の糸口的な処ではないかと思われている。囚い岩盤を火を焚いて脆くして掘り進んだことからこの名が付いたのではないかと言われています。
1km (42分)
5 禍鉱所(精錬所跡)
明治7年(1874年)島津忠義が鉱業技術の振興を図るためフランス人技師(フランソアコアニーとポールオジェ)を招き、その指導のもと橋鉱所を設置した。動力は蒸気機関で昼夜精錬作業が行われるようになり、近代化へ大きく進みました。
0.5km (30分)
6 山ケ野の里 (石垣、石臼、石倉)
里内には山ケ野小学校跡地の石垣を始め今でも多くの石垣群を見ることが出来ます。また金鉱石を水車で割った後にそれを挽いていた石臼も里内の随所に見られ中には石垣に嵌め込まれた石臼もあります。(里内には昼食会場をはじめ、数ケ所の地産食材の振る舞い所が設けられている)
0.5km (30分)
7 山ケ野の里2 (御座所、奉行所等)
里内には昼食後の散策ポイントとして、藩主の御仮屋(御座所)や金山奉行ほか町奉行所などの遺構を見ることができます。
0.8km (30分)
8 山ケ野の里3 (山神社、寺院跡、遊郭跡等
国中からの移住者が移り住み盛況を誇っていたとき、里内には3つの宗派の寺が存在し、そのほかにも多くの宗派が寄り添っていた。そしてまた当時は九州3大遊郭と言われた「田町の遊郭」跡地もあり、遊女たちの墓が今も残されています。
3.5km (90分)
9 天降川源流のせせらぎ (情流と田園風景そして新緑の癒し)
山ケ野の里から安良神社までの道のりは、アップダウンもほとんど無く平坦な田舎道を、天降川の源流のせせらぎと、田園風景、そして新緑の癒しを楽しみながらウォーキングを楽しめます。
-km (30分)
10 安良神社 (古の安良姫伝説と現在に継承される郷土芸能)
古社安良神社(正一位)、悲しい安良姫伝説は今もなお地域に語り継がれ、また伝統芸能「四方立ち舞」などの神舞も継承されています。
1.5km (60分)
終点 丸岡公園 (緑地公園)
丸岡公園は昭和60年頃までは、県内では吉野公園に次ぐ人気を誇っていた。現在でも桜のシーズンは6,000本の桜が咲き乱れ、来訪者の目を和ませてまれます。