「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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龍馬ハネムーンウォークin霧島「隼人・天降川コース」

1866年土佐の坂本龍馬と妻お龍が日本で最初の新婚旅行で訪れ、雄大な自然や豊富な湯量を持つ温泉で激動の幕末で活躍したその身体を癒しました。まさにその温泉と神社を訪ねる天降川沿いの散策です。
番号:146017
“◆コースの概要/距離:18km、所要時間:330分、高低差:-m ◆コースの起点/地名:鹿児島神宮、最寄駅:JR日豊本線 隼人駅、最寄のバス停:、最寄からの距離:1km ◆コースの終点/地名:鹿児島神宮、最寄駅:JR日豊本線 隼人駅、最寄のバス停:、最寄からの距離:1km ◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:有、看板・標識:有、安全対策:有、近隣の宿泊:有 ◆推奨季節/春・秋 ◆その他/- ◆コースに関する問い合わせ先/霧島市 観光課 観光地づくりグループ 霧島市観光協会、電話番号:0995-78-2115”





起点 鹿児島神宮
ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とその御妃の豊玉姫を主神とし、仲哀・応神天皇・神功里后とを、合わせまつる。別名、大隅正八幡、国分八幡、大隅一ノ宮という。明治以前は、正八幡宮あるいは鹿児島神社といった。社伝では、神武天里創建と伝え、平安時代の書物「延喜式」(927年成立)には、「大隅国桑原郡一坐大鹿児島神社」とある。これらに依っても、起源は相当古いものと思われる。現在の社殿は宝暦6年(1756年)に作りかえられたもの。
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1 石体神社
鹿児島神宮の元の宮跡といわれる。現在はお産の神様として信仰されている。お産の前にお参りして石を一ついただいて帰り、産後、母子共に再び参り、その時にお返しに、石二つ持参する風習がある。
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2 蛭児神社
イザナミ・イザナギの二神の間にできた蛭児を、この楠(くす)の舟に入れて流したのが漂着した場所がこの神社といわれる。蛭児の乗った舟は、やがて根づき、どんどん成長して大きな森となった。これが今の奈気木(なげき)の杜であるという
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3 西郷さんと隼人
戊辰戦争(16868年、明治元年)を終えて鹿児島に帰った西郷さんは壮士数人と猟犬数頭を従えて、この隼人を訪れていよす。曰当山温泉にのんびりひたり、川で釣りに山でイノシシやウサギを追って遊んだと文献に記されています。西郷さんは春夏秋冬と十数回にわたり訪れています。当時は旅館などはなく、農家のおもて座敷を借りて滞在しました。その農家、龍宝伝右ヱ門宅が現在、再現されています。西郷さんが幾度となくこの地を訪れたのは曰当山温泉の泉質の良さもさることながら雄大な自然が西郷さんの心を引きつけたのです。
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4 日当山侏儒どん
薩摩藩第18代藩主島津家久公に仕え日当山の地頭をつとめた徳田大兵衛という実在の人物。洙儒どんは背の高さがわすか3尺(約90㎝)でしたが、頭の回転の早さは抜群で、殿様がどんな難問を出しても、スラスラと答えを返したといわれます。現在でも株儒どんの頓知小話が数多く残っています。
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5 菅原神社磨崖仏
磨崖仏は、自然の岩や崖面をけずり、仏像や梵字(ぼんじ)等を彫ったもの
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6 姫城湯本大権現碑
僧明源、鎌倉時代の永仁元年(1293年)の銘があることから、碑の建てられたのは鎌倉時代の後半期で、明源というお坊さんがお湯の出たことを記念して、湯源に石をご神体として湯の神様を祭ったものです。姫城地区の温泉の起源を知る上で重要な石碑です。
18km (-分)
終点 鹿児島神宮