「新日本歩く道紀行100選シリーズ」を通年で歩く人たちのクラブ「歩きんぐくらぶ」



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尚寧王の歴史のみち

琉球王朝時代に尚寧王が整備したとされる歴史のみちを含みます。途中、浦添城跡地など文化財が4点点在し、美術館、ガイダンス施設浦添ようどれ館などガイド案内も充実しています。また、安波茶橋は、いにしえの琉球王が渡ったとされる石橋のアーチは美しく、いにしえの異国に連れて行ってくれます。
番号:147001
◆コースの概要/距離:5.6km、所要時間:85分、高低差:49.4m
◆コースの起点/地名:浦添運動公園、最寄駅:-、最寄のバス停:浅野浦、最寄からの距離:0.8km
◆コースの終点/地名:浦添運動公園、最寄駅:-、最寄のバス停:浅野浦、最寄からの距離:0.8km
◆コースの環境・設備/トイレ:有、休憩所:有、水・食料:有、ガイド等:無、看板・標識:無、安全対策:無、近隣の宿泊:有
◆推奨季節/-
◆その他/-
◆コースに関する問い合わせ先/浦添市 社会体育課、電話番号:098-876-1234





起点 浦添運動公園
浦添市のスポーツの拠点として市民の体力増進やレクリエーション活動の場として整備されました。主要な運動施設には、陸上競技場、体育館、野球場、多日的屋内運動場、まじゅんらんどがあり市民に広く利用されています。
2.2km (33分)
1 玉城朝薫の墓
玉城朝薫(1684~1734)は琉球独特の歌舞劇『組踊』の創始者です。彼は中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となって組踊を生みだしました。 この墓は庭の石積みなどが曲線を描くのが特徴的で、亀甲墓が成立していく17世紀後半から18世紀前半に作られたと考えられます。
1.8km (27分)
2 中頭方西海道
琉球王国時代に首里王府からの命令伝達や租税の上納に使われた宿道。尚寧王の命により石橋から石橋に架け替え令により首里平良と浦添城をつなぐ道を拡張し石畳を敷く国家的大土木工事を行ったことが分かります。 現在は安波茶橋とその周辺に石畳道が残されています。
-km (-分)
3 経塚の碑
昔、ここに巣くう妖怪が道行く人々をたぶらかしていました。16世紀のはじめ、日秀上人が金剛経というお経をかいた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を建て妖怪を鎮めたと伝えられています。また、大地震があってもこの場所は揺れなかったとされ、地震の際には「チョウチカチカ」「チョウチカ、チョウチカ」(チョウチカ=経塚)と唱えると地震がおさまると信じられるようになりました。
0.3km (5分)
4 安波茶橋
16世紀に建造された、浦添グスクから首里まで続く琉球王朝の歴史を感じる古道です。首里城から続く琉球王国時代の宿道で、沖縄県北部まで続く当時の主要道路だったそうです。現在は安波茶橋を中心とする一部が復元保存され、橋は経塚と安波茶の谷間を流れる小湾川上流に架けられた南橋とアブチ川に架けられた北橋からなります。この橋がいつできたのか、それははっきりしませんが、1597年に浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられます。近くには琉球国王が「普天間宮」へ参拝する折に赤い皿に水をくみ差し上げたとされる井泉「赤皿ガー」が有・ります
-km (-分)
終点 浦添運動公園