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家康の散歩道

  • 浜松・浜名湖観光情報サイト

コース情報詳細

10km 【所要時間】120分 【高低差】30m

徳川家康は、1570年に浜松城を築城し、29歳~45歳までの17年間を浜松で過ごしました。この間、生涯最大の敗戦ともいわれる三方ヶ原合戦などの苦難を経て多くを学び、浜松の地で天下取りの第一歩を歩み始めました。また、歴代の浜松城主から幕府要職である老中や京都所司代等に抜擢される人物が多く輩出されたことから、後に出世城と呼ばれるようになりました。この浜松城をはじめとするいくつかの家康公ゆかりのスポットはパワースポットとして注目されています。「家康の散歩道」は、縁起の良い出世の街「浜松」に今も残る徳川家康公ゆかりの地を歩いて巡るコースです。家康公の軌跡と戦国の歴史を感じながら、ゆっくり歩いてみませんか。

コースの概要
距離:10km 所要時間:120分 高低差:30m
コースの起点
地名:浜松駅 最寄駅:JR東海道線 浜松駅 最寄駅からの距離:0km 最寄のバス停: 最寄のバス停からの距離:km
コースの終点
地名:太刀洗の池 最寄駅: 最寄駅からの距離:km 最寄のバス停:遠鉄バス 医療センター 最寄のバス停からの距離:0km
コースの環境・設備
トイレ:有 休憩所:有 水・食料:有 ガイド等:有 看板・標識:有 安全対策:有 近隣の宿泊:有
推奨季節
春・秋
その他
コースに関する問い合わせ先
浜松市 産業部観光・シティプロモーション課 電話番号:053-457-2295

SJR浜松駅

JR浜松駅湖内には、「浜松市観光インフォメーションセンター」があります。

0.7km 9分

C122018000徳川秀忠公誕生の井戸

家康公の側室であるに西郷局が2代将軍秀忠公を生んだとき、産湯としてこのあたりにあった井戸水が使われたという伝承をもとに作られた井戸です。出生地とされる場所は2説あり、1説は現在のクリエート浜松西側付近であり、新川交通北側に石碑と石畳の小道が設置されています。

0.8km 10分

C122018001浜松八幡宮

凛とした空気が漂う浜松八幡宮境内に茂る「雲立のクス」。三方ヶ原合戦で敗走してきた家康公がこの楠の洞に逃げ込み追手から身を隠していたところ、突然雲が立ち上がり、神霊が白馬に跨って浜松城へ飛び立ったのを見て勇躍した、という伝説からこの名がついたといわれています。樹齢1000年を越える御神木で、かつて家康公もこの木に武運を祈願したといわれています。

0.4km 5分

C122018002椿姫観音

亡き夫・飯尾豊前守に代わり、引馬城主となったお田鶴の方。しかし徳川勢との戦いの末、命を落とします。母同士が義理の姉妹にあたる築山御前(家康公の正室)は彼女の死を哀れみ、塚の周りに100株余りの椿の花を植えたといわれています。椿は毎年美しく咲き誇り、いつしか椿姫と呼ばれ、それが椿姫の名の由来になったと言い伝えられています。

0.6km 8分

C122018003東照宮

東照宮は1886年に創建されました。石の鳥居の横に「曳馬城跡」と刻まれた史石碑があります。社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られ、家康公を祭神としているお社であることを示しています。1568年に三河から遠江に入った家康公は今川方の拠点であった引馬城を攻め入城し、城地を拡大し浜松城を築城しました。その後、引馬城の跡地には米蔵十数棟が建てられました。

1km 12分

C122018004五社神社・諏訪神社

五社神社は、もともと浜松城内に祀られていましたが、2代将軍秀忠公の産土神として家康公の命で現在の地に遷座しました。また、諏訪神社は3代将軍家光公の命により遷座しました。徳川家から崇敬されてきた両神社は、1960年に1つの神社として合祀されました。子守り・子育ての神様としての信仰も厚く、現在では七五三の時期になると綺麗に着飾った子供たちや家族で賑わいます。

0.5km 7分

C122018005家康公鎧掛松

市役所の西側にある「鎧掛松」。この松は三方ヶ原合戦に負け、浜松城に逃げ帰った家康公が鎧を脱いでその松に掛けたといわれていることからその名がつけられました。現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったといわれています。また、当時鎧掛松近くの清水で、合戦で疲れた馬のからだを冷やしたことから、松城町に馬冷という地名が今も残っています。

0.1km 1分

C122018006浜松城

遠江の経路拠点としては引間城が手狭であったことから、家康公は西南の丘陵地に大規模な築城を行いました。1570(元亀元)年に家康公が浜松城に入城した際に、引間を浜松と改めたといわれています。現在残っている遺構は天守曲輪を中心とする一帯で、荒く組まれた「野面積み(のづらづみ)」の石垣は、ほぼ戦国時代そのままの姿で残っています。現在の天守閣は昭和33年に、天守門は平成26年に建てられました。

1.6km 20分

C122018007本多肥後守忠真の碑

犀ヶ崖資料館の敷地内の東に本多肥後守忠真の戦功の碑があります。後に「徳川四天王」の1人として名高い本多忠勝は、忠真の甥にあたる人物です。武田軍との戦いで敗戦が濃厚になった際、忠真は主君家康公の命を守るため、自ら殿を買って出て、武田軍の猛追撃を食いとどめ、徳川本隊の後退を守りきりましたが、刀一本で適中に斬り込み討死にしたといわれています。

0km 0分

C122018008犀ヶ崖古戦場

三方ヶ原合戦で大敗を喫し、命からがら浜松城に帰りついたその夜、家康公は武田信玄に一矢報いるべく、鉄砲隊をひきいて夜襲をかけました。地理不案内な武田軍は混乱し、次々と犀ヶ崖の深い谷に転落し、多くの命を失ったと伝えられています。また、ここではこの戦いによる死者を弔うための「遠州大念仏」が毎年お盆の時期に行われています。

0.1km 1分

C122018009夏目次郎左衛門吉信の碑

夏目吉信は、1563年の三河一向一揆の時に捕らえられ処刑されるところを、家康公の寛大な処置により助けられました。以来この恩義を忘れることが無かった吉信は、三方ヶ原合戦の際、主君家康公の身代わりとなって敵陣の前に立ちはだかり、討死にしたといわれています。

1.1km 14分

C122018010普済寺

普済寺は、遠江における曹洞宗の拠点となるお寺です。当初は現在の中区寺島町付近にありましたが、現在の場所へ移転し、広沢山普済寺と山寺号を改めました。三方ヶ原合戦では、兵火にあって伽藍が炎上、その後も災禍により被害を受けましたが、再建されました。なお山門は江戸時代初期に建立されたといわれています。

0.3km 4分

C122018011西来院

西来院には、謀反の疑いから佐鳴湖畔で38歳の生涯を閉じることとなった家康公の正室・築山御前の霊廟(月窟廟)がおかれています。またその近くには家康公の異父弟の松平源三郎康俊の墓もあります。毎年4月下旬~5月上旬には本堂前庭の藤が美しく咲き誇り、訪れる人の目を楽しませています。

0.4km 5分

C122018012宗源院

宗源院は、普済寺13派のうちに数えられる歴史の古い曹洞宗の寺院です。境内には三方ヶ原合戦の際に奮戦し討死にした成瀬正義や外山小作、遠藤右近など徳川方の武将のお墓があります。また、今川義元ら直筆の市指定文化財「今川公判物」も保管されています。寺の東南一帯に的場があり、家康公が在城当時ここで弓の稽古に励んだといわれています。

1.5km 19分

C122018013浜松市博物館

ナウマンゾウの骨格標本も人気の浜松市博物館は、1979年に蜆塚遺跡のあるこの地に開館しました。「原始~中世~近世~現代」と展示物で浜松の歴史を知ることができます。 徳川家康公関連の代表的な資料に「徳川十六将図」や「家康直筆の書状」などがあります。また当時の「浜松城下のジオラマ模型」では、浜松が「東海道の宿場町(城下町)」として栄えていた様子が再現され、数々の町名が現在にも受け継がれていることがわかります。※展示内容は入れ替わりがございます。

0.6km 8分

G太刀洗の池

1579年に家康公の正室・築山御前と長男・信康が敵方と内通したとの疑いから、織田信長の命令で、家康公は2人の処刑を家臣に命じたといわれています。岡崎城から浜松城へ向かうため佐鳴湖を船で渡った築山御前は、待ち伏せていた家康公の家臣により命を奪われ38年の短い生涯を閉じました。その刀の血を洗ったのが太刀洗の池、亡くなった場所が御前谷と呼ばれています。現在太刀洗の池は埋め立てられ、少し離れた浜松医療センター駐車場の片隅に碑が残っています。